悲痛…

表現力に長け、リング上のファイトから「伝わってくる」レスラーだった。

いま時点のキャリアと年齢を考えると、間違いなく将来大化けするポテンシャルだった。

 

運動神経や身体能力は人並みだったらしい。

けど、手足の長さやスタイルの良さ、何より表情の豊かさには抜群の才能が。

その意味では、持ち前の負けず嫌いからくる努力家としてのパワーは、いかに「伝わるか」を表現する、という事に注がれていたのだと思われる。

 

相手の攻撃をまっすぐ受け止め、

自分の攻撃もまっすぐ放ち、

観客の反応もまっすぐ感じ取る。

 

まっすぐな努力家だから、

SNSのコメントもまっすぐに受け止めてしまったのかも知れない。

 

そう思うと、本当に残念で、悲痛。

 

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▲本人のInstagramより引用

 

最後のInstagramで一緒に写るネコちゃん。

最後の最後、夜中のシャッターが下りた道場前に、カゴに入れてそっと置きに行ったという。

その後の、家までの帰り道は、どんな思いで歩いて行ったのか…

 

そんなことを想像すると、本当に胸が張り裂けそうになる…

リーダーとしての「ことば」と視野視界と

ここしばらく、大阪の吉村府知事から目が離せない。

 

コロナ禍における府対策と国との狭間における、

国政に対する歯に衣着せぬ物言いや、国のフットワークの重さに対する指摘の舌鋒の鋭さは、痛快さの極みだ。

そして、昨日5月4日の某報道番組にて言及された緊急事態宣言の大阪府独自の出口戦略、いわゆる「大阪モデル」に関する発言には、ある意味で感銘を受けた。

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大きくとらえると、ポイントは2つあると思う。

 

1つは、その伝え方にある。

見事に「自分のことば」になっているのだ。

「大阪モデル」なる出口戦略の根拠の1つとして、「経済も命である」と表現。

これは、感染症の専門家会議をベースとした国の緊急事態宣言の延長判断が、ここまでの総括の不足や経済側面の専門家視点の欠如を指摘したくだりの中で出てきた表現だ。

 

事前に準備されたシナリオをただ流暢に、ひたすらスマートに「発表する」のとは質が違う。

そんなものは、司会やタレントに任せておけばいい。

吉村氏の「ことば」には温度を感じるし、リーダーとしての気迫が伴っている。

 

だから「伝わってくる」のだ。

 

もう1つは、率直に感じたままを言うなら、頭の良い人だな、と。

もしくは、バランス感覚の良い人だな、と。

 

恐らくそもそも、緊急・重要度のマトリックスフレームが、そうとう初期の段階から思考の中に準備されていたのではないだろうか。

 

事ここに至っては、中小零細企業における財務状況は待ったなし。

そして何をもって「待ったなし」なのかというと、吉村知事曰く「命を伴う」レベル。

つまり「あってはならない事ではある」ものの、財務的にひっ迫した中小零細企業の経営者はじめ、社会的責任を伴った方々の命に及ぶ可能性についてを、これまでの歴史的トピックスや数字的論拠をもとにして言及。

まったくもって共感できるし、明確な論拠が下地に存在するので説得力が違う。

 

緊急事態宣言発信当初は、ウィルスの感染拡大防止そのものが緊急度・重要度共に高かった。

しかしながら宣言発信から1カ月経過した現在においては、経済活動自粛に伴う中小零細企業の財務状態も、もはや緊急度がのっぴきならない事態になってきている。

 

「経済も大事」であることは誰もが当初から謳ってきていた。

いわゆる重要度が高いこと、はわかっていたということだ。

しかしながら、緊急度もいずれは高まってくるということについては、想定をどれだけしてきていたかによって、判断が異なってくるはずだ。

つまり吉村知事の場合は、当初よりこのフレーム内での想定がなされていたのではないか、と推察される。

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緊急重要度のマトリクス

 

緊急度も重要度も高い物事には、誰もが反応する。できる。

リーダーとは未来を創るために、率先して人々を引っ張っていく存在。

求められるのは、まだ緊急度がそう高くはない段階において、重要度の高い物事に着目し、いざというときのために準備を整えておける事なのではないだろうか。

共感しまくりのコミュニケーション

ココロ洗われるメールを頂戴しました。

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つい先日、新規でお取引を開始した会社さんからなのですが、本メール、私からお送りしたメールに対してご返信下さったものなのです。

 

いま、ちょっとしたものを制作準備しており、先日その第一案が先方から届いたのですね。

悪くはない。

悪くはないのですが、平均点くらいかな、という感じ。

 

視点を変えて再考してもらおうとボツの連絡を入れたのですが、その際、

「ちょっと細かいかも知れませんが、ご容赦ください」

とフォローのつもりで、私はメールの文末を結びました。

上記添付のメールは、その返信です。

 

何が嬉しいって、段落の3つ目です。

「サービス向上を目指す自分にとって、細かい意見は嬉しい」

とあるではないですか。

 

 

伝わった!

もっと言うと、

見つけた!

という感じでしょうか。

 

スタンスを同じくするパートナーを、です。

 

最近、取引先や提供サービスの「当たり前品質」に悩まされることも少なくなかったので、ホント、心洗われる出来事でした。

「二流は過程にこだわる 一流は結果にこだわる」

って本当か!?

 

ちらほら目にする名言的なやつだが、私は違和感を覚える。

 

私がキャリアを積んできた前職時代は、「業績達成は当たり前」の風土の中で鍛えられてきた。

つまり、「結果を出すのが当たり前」が、デファクトスタンダードの日常である。

 

だが確かにだから逆に、

目標達成さえすればいいと(だけ)考えている営業メンバーがいたのも事実だし、

納期納品まずありきと一杯いっぱいになっている制作メンバーもいた。

つまり、結果を出すことがGOALのすべてになってしまっているという事かな。

 

私から言わせれば、そんなメンバー(仕事の取組み)の方が二流のレベルと感じてしまう。

 

(それで飯を食っている)プロである以上、結果を出すのは当たり前。

しかしもっと重要なのは、結果を出し続ける事である。

 

先ほどの、結果がすべてになってしまっているメンバーで言うと、プロセスが疎かもしくは雑になっている者が残念ながら多い。

営業で言えば刹那的な狩猟型スタイルになっていたりするし、

制作で言えば納品物にクォリティが伴っていなかったりする。

 

なぜか?

(自らにとっての)短期GOALの達成がすべてになってしまっているからである。

(逆説的論理展開になってきているかな?)

 

ところが結果を出し続けるプロフェッショナルの場合、

営業で言えば取引先である顧客の満足度が満たされ続けていたりするし、

制作で言えば納品物(広告や販促ツールなど)が勝手に新規顧客を引き寄せたり客単価をアップさせたりすることもある。

 

なぜか?

(相手にとっての)課題解決にゴールが設定されているからである。

 

 

え?

そのレベルになると、もはや超一流じゃないですかって?

 

いやいや、

結果を出すのは当たり前。

プロセス(過程)が伴った結果を出す(出し続ける)レベル。

それがプロフェッショナルとしての仕事の「当たり前品質」だと思う。

 

このレベルでこそ、まだ一流でしょ。

 

 

 

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迷ったときは、基本にかえる

2020オリンピックYEARも始まりましたね。

随分と遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

 

この年末年始休暇は、久し振りに少しまとまったお休みを頂くことができました。

休暇中には好きな音楽を聴いたり、

買ったはいいけど頁を開いていなかった本を読んだり、

劇場には行けなかったけど観たかった映画をまとめて観たり。

 

さまざま感動や感銘、刺激を受けたわけですが、

まったく別々のジャンル、ひと、シーンから、

「自分は〇〇である」的な、

生きざまというか覚悟みたいなコメントを耳にしたときは、

ハッとさせられましたね。

 

映画「ボヘミアンラプソディ」の中の1シーン。

クィーンとして成功を納め、音楽業界でのステイタスを確実なものとしつつあった時、

フレディ・マーキュリーはグループを離れ、ソロ・アーティストとしてのレコード会社契約を独断で決めます。

大型の契約金とソロ活動という「自由」を手にするフレディですが、クィーンのバンドメンバーは当然去っていきます。

たった1人で(大型の契約通りに)作品を生み出さなければならないプレッシャーの中、酒やドラッグに溺れ、恋人も離れていく一方で自分の取り巻きはイエスマンだらけ。

乱れたソロライフは充実感とは程遠く、虚無感だらけ。

そこから脱するべく、クィーンのバンドメンバーに頭を下げ、何とかバンド再結成の目処をつけ再浮上の兆しを掴むフレディですが、彼を待ち受けていたのはHIV感染という運命。

 

あの当時のHIVと言えば、罹患したが最後。

対処法が確立されていないばかりか、社会からは偏見の眼差しにさらされるばかり。

 

再結成したばかりのメンバーに対し、フレディは覚悟を持って告白する。

「自分はHIVになった」

「(友として)特別な感情はもたないでくれ」

「(しかしながら)残された時間は少ない」

と。

 

頷くメンバーだが、とは言え、誰となく

「平気か?(大丈夫か?)」

といった、何とも言えない感情が表れてくる。

 

その時のフレディのセリフ。

「俺はパフォーマー(として生まれ生きていくの)だから」

 

ここ。

何故かこのセリフ。

数ある感動的シーンの中、なぜかこのシーンが強烈に印象に残っているのです。

 

自分は何者なのか。

人間としてのアイデンティティーは何なのか。

この世における役目役割は何なのか。

 

これらを(既に)悟り、覚悟を決めたフレディからは、

清々しさすら感じます。

 

 

…仕事も勉強もスポーツも、人間関係もそう。

迷い道に入ってしまったとしたら、最初に戻ればいい。

スタートラインに戻り、基本に立ち返り、イチからやり直してみる。

 

つい先日も、仕事関係で似たような問いを受けましたが、

結局はそんなアドバイスをさせて頂いた気がします。

 

新しい年のスタートは、ちょっと初心に戻る気持ちを持たせてもらえたのかも知れませんね。

 

 

本年も、よろしくお願い申し上げます。

打てば響くひと、響かないひと ~トラブル対応のあたりまえ品質~

「弊社としては、これこれこういう基準の下、通常通りの対応をさせて頂いております」

たびたび耳にするセリフだ。

 

言葉遣いが丁寧なぶん、逆に質が悪い。

なぜか。

まっとうな行動をとっているように一瞬認識するが、実は相手の要望に応えようとしていない(これ以上は応えない)ことの宣言だからだ。

 

最近わたしの身の回りで起きた件も、まさにこのセリフが始まりだった。

 

先週の某日、会社で使用しているプロジェクターに異常が発生した。

始業直後に電源が切れ、以降はうんともすんとも言わなくなった。

業務および取引先に迷惑がかかる事態に及ぶため、購入先である某家電量販店のサービス窓口に相談電話をかけた。

症状をお伝えし、かつ通常の修理対応(窓口持込→預り→数週間経過→改修→窓口引取)では困る旨を話した際、先方が最初に伝えてきたのが冒頭の類のセリフであった。

正確に表現するなら、

「当店としましてはお客様のお話を製造メーカーサイドにお伝えし、修理依頼をたてるまでが保証範囲で対応できることになるのです」

 

知っている。

何故か。

保証書にその旨明記されている・・・のはもちろんだが、

実はひと月前に同じ症状で同じ対応を受けていたからである。

そしてその際は、当然ながら先方の規定通りにご対応頂いている。

顛末まで含め状況をお伝えすると、

メーカーの工場に数週間(一カ月近く)もの期間預けた後、対応頂いたメーカーからの回答は「正常起動。分解清掃のみ実施」との事であった。

 

つまり今回の事態は、2度目の発生なのである。

しかも実は1度目の引取り後、まだ2週間も経っていないうちに発生した同じ現象なのだ。

 

件の家電量販店さん、この先の対応が違う。

 

・2度目の発生

・引取り後2週間程度しか時間が経過していない中での再発

・1度目のサービス窓口持込時、貴店店員と通電確認を行い、作動しないことを確認しあっていた事実

・弊社はプロジェクターという「箱」を購入したのではなく、某用途を満たすためのツール活用を期待しての購入

・その使用用途のタイムラグ数週間は取引先との契約反故に繋がりかねない

・数日後にイベント使用を控えており、1度目の修理依頼はそのスケジュールを逆算しての持込だった

・「5年延長保証」は万一の備えとしての安心を購入したつもり

・・・etc.

こちらの事情に傾聴して下さった結果、私が先方に吐露した発言集である。

 

お気づきだろうか。

この家電店員さんは、保証対応というレベルを超え、

対象商品の購入時ニーズや使用目的を聴き出し、消費者側が当該ツールを失った際の逸失利益、果ては延長保証購入の潜在ニーズまで確認しているのである。

 

結果、

現在わたしの手元にはメーカーからの代替品が用意され、使用用途にタイムラグは発生していない。

 

特別にメーカーサイドに交渉し、代替品をご用意くださったとの事だが、なぜそこまでして下さるのか。

思わず当家電量販店さんのホームページを垣間見る。

お客様第一主義を実践し、最高のサービスをお客様に提供する」

「一人ひとりのお客様を大切に、最高の満足と喜びを感じていただく」

「より豊かな生活を提案する、進化し続けるこだわりの専門店の集合体」を目指す

 

見事である。

会社の経営理念と行動規範が、現場最前線の店員さんにまで徹底されている。

 

そう、トラブルはチャンスなのだ。

お客様の言葉に真摯に耳を傾け、真のニーズやウォンツに気付かされ、自らの行動改善につなげる。

挽回のチャンスを得る事が出来れば、相手のマインドシェア拡大につながる可能性を得ることができる。

社会である程度のキャリアを積んだ者であれば、多かれ少なかれ知っている教訓である。

 

事情をご説明させて頂いた結果、こちらの店員さんの場合、

見事に「打てば響く」タイプの方でした。

 

今回の「おもてなし品質」。

イレギュラーの対応でしょうから社名や店名は書き控えますが、感動させられましたよ。

大山さん!

広木さん!

 

 

代替品に最上位機種を用意させる周到さは、ちょっとだけ憎いけどね(笑)

 

 

 

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向き合わなきゃだめさ、現実に ~ミスした時のあたりまえ品質~

何はともあれ、ミスをしてしまったときの初動はお詫びです。

それもメールではなく、お電話で。
もしくは直接出向くのもありですが、訪問時に相手先が受け入れられる状況にあるかどうかが不明ですので、他要件で対応頂けなさそうであればお待ちするか出直すのを含んでおく必要があるでしょう。

 

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やはりベターなのはお電話でまずはミスそのものをお詫びし、改めての訪問アポイントを頂戴する。

そしてアポイントの目的は、ミス発生の経緯と改善具体策をご説明する事。

更に、自ら起してしまったミスにより発生させてしまったかもしれない相手先の損害(経済的損害以外にも第三者への信用棄損など、想定外の二次損害の可能性もあります)などをお聞かせいただき、ライブで改めて真摯にお詫び傾聴し続ける。

 

対応のオプションは幾つか他にあるかも知れませんが、いずれにせよ以上が、

ミスした時の「あたりまえ品質」でしょう。

 

前職時代、隣の部署の新任マネジャーが、

「社内の働き方改革で労働時間に制限があるため、訪問できず申し訳ありません」などとコントのような信じられないお詫び電話をして火に油を注いでいるケースを耳にしたこともありますが、これなどは「ありえない品質」。

 

「おもてなし品質」の行動オプションも幾つかありますが、それはまた別の機会に。

 

 

 

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