挨拶は大事、やっぱり

冬の間に除雪車によって積み上げられた雪の山。

店舗前の雪山を1日も早く溶かすため、「雪割り」に外に出た今日の午後。

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お隣さんに出くわした。

ここいら町内会の地主さんのお一人でもあるお隣さん。

 

快晴の空も手伝って、

「こんにちは!」

と反射的に明るくご挨拶。

 

いみじくもこのお隣さんも、同じタイミングで「雪割り」に精を出していたのだ。

いや、このお隣さんの場合、その手法は「雪割り」とはちょっとニュアンスが違うな。

どちらかというと、垂直に前進しながら「掘り進める」という感じだ。

その結果その場所に出来上がる光景は、さながら

雪山の「モーゼの十戒」。

 

その労力満点の雪掻き方法に感心をしながら思わず、

「凄いですね。いつもこうやって(前に切り開くように)やっていらっしゃるのですか?」

と話しかけた私に対する、お隣さんの返答に意表を突かれた。

 

「こうやってもうすぐこの場所が開けたら、またここに車を駐車しなさい

「!」

 

このお隣さん、私の店舗用の駐車場所を確保するために、

コツコツと「モーゼの十戒」を拓いていらっしゃったのだ!

 

意表を突かれたというより、ちょっと感動を覚えた。

 

実はこのお隣さん、昨年末に積雪量が増えていったときはむしろ、同じ場所に雪山を積み上げていっていたのだ。

もともとその場所は、うちのお店の同居人が営業車を置いていた場所だったので、

ある朝の出社時にガッツリと雪山が完成され、営業車の置き場所を失われたこの同居人は唖然茫然。

たまたま路上でこの同居人とお隣さんが出くわした際にも、

「なぜここに雪山をつくっちゃうんですか!?」

「ここは昔から雪山を置く場所なんだ!」

と一触即発のシーンもあった。

 

北海道あるあるの除雪近隣トラブルの類である。

 

事を大きくややこしくするのも何なので、その際は「後からこの場所にやってきた」我々が身を引いたものの、正直、多少ならずとも「しこり」が残ったのは事実。

 

 今まではそうだったのかも知れないが、わざわざ積み上げなくてもねぇ…

 単純に気分が悪いよねぇ…

 なにもわざわざいさかいのネタをつくらなくてもねぇ…

 

こんなこともあったため、我々の中ではこのお隣さん、

「昔からいる、気難しい自分勝手な人」

みたいなブランディングが出来上がってしまっていた。

 

それゆえ逆に、今日のこの「こんにちは」の後のコメントには、

ある種の感動を覚えたのである。

 

(当たり前だけど)そんなに悪い人はいない。

 

そして反射的だったかもしれないが、やっぱり元気よく「こんにちは!」の挨拶が効いたのも間違いないはずだ。

それも年下の者から

明るく、

笑顔で、

大きな声で、

挨拶されたお隣さんだって、悪い気はしなかったはずだ。

もしかしたら、昨年末の自分の行動を少しは恥じていらっしゃるのかも知れない。

 

何はともあれ、すがすがしい気持ちを覚えたとともに、

当たり前の行動の大切さに改めて気付かされた、

そんな昼下がりだった。

 

「モノ」から「コト」へ


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クライアント様のVTR作成の打合せ。

お客様にとっては節目であり、次代に向けたメッセージを発信する機会です。

がしかし、肩肘張ってないんですよね。

「そんなに話すことはないよ~」

 

嘘です。

嘘、と表現すると語弊があるとしたら、

お気づきになっていらっしゃらない❗

話せば話すほど、出てくる出てくる。

メッセージが。

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これまで(先代)は、いいものを造って提供していれば、社会に自然と受け入れてもらえる価値があったと。

これから(次代)は、地域・社会課題に応えながらサービスを提供していくことが、企業としての務めなのだと。

 

聞き出す、引き出す、表現する、伝える‥

これだから、ヒトと対峙する仕事は面白い!

似ている、と

よく言われるのです。

この方に。

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N村M俊さん。

 

昨日は、お仕事で初めてお会いした方に言われました。

面談時間は1時間半くらいですかね。

お話も終息し、最後の最後にお見送りしようかと立ち上がりかけた際、

意を決したかのように、

「あの方に似ているって言われませんか?N村なんとかさん!」

 

はい、よく言われます(笑)。

 

昭和時代から役者に歌にと、大活躍されていらっしゃる方です。

二枚目でもあるので、大変光栄で「は」あります。

 

ただ世代的には、私よりも干支で一回り以上も上の大先輩。

「は」とこだわる部分は、そこです。

 

もうちょっと若い時は、

大Sたかおさん

S田H之さん

堤S一さん

など、これまた大変光栄な方々と比べて頂いたこともありましたな。

 

あ、

もっと若いころは、

アーノルド・シュワルツェネッガー

なんてのもあったっけな(笑)。

 

解決の糸口は「問題の課題化」

嬉しいメールが届いた。

4月の新入社員研修を皮切りに、半年強に渡って成長支援面談を手伝わせて頂いたその新人さんから、「お礼」と題するメールを頂いたのです。

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4月→7月→12月と、3回にわたる「追いかけ」面談を行うのが弊社の新入社員研修プログラムなのですが、A社様ではその最終面談が本日午後だったのです。

 

この最終面談日に、私は該当の新人さんお一人お一人に私の名刺を差し上げることにしています。

「このプログラムはこれで最後になりますが、今後の社会人人生で何か困ったことがあったらいつでも連絡を下さい。同じ社会で生きる先輩の私で良ければ、お話し相手ぐらいにはなれますので」と。

ちょっと「上から」にはなってしまいますが、当プログラムの「卒業証書」の意味合いも兼ねての行為です。

 

嬉しかったので、私も早速返信メールを先程お送りしました。

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こうして日々の活動を通して新しい人材とつながり、むすばれていくと、

新しい何かが生れていきそうな期待感で気持ちがいっぱいになりますね。

 

 

 

https://musbu.co.jp/company/

弊社・MUSBUプラットフォームは、

コンサル活動や研修プログラムの立案なども通じ、

企業様の成長支援を行っております

「信頼を得るためには、やはり勉強です」

business.nikkeibp.co.jp

 

リンク先には出てこないが、
タイトルのコメントに、強く共感。

 

国家を代表する難交渉で実績を重ねてきた人物の言葉は重みが違う。

 

私自身、独立してからは書物や出会いを意図して求めている。
刺激的な場面には、黙っていてもなかなか巡りあえないからね。

 

現場主義vs大本営判断

たまたまなのか、

意図的なのか

 

日経ビジネスの巻頭コラム「有訓無訓」が2週連続で

現場重視

を説くトップ言となっている。

 

現場で起きている事実・実態を見誤ると、

大事な判断を誤って下すことにもなり得る。

 

現場を知らずして経営判断を下すと、

顧客にしろエンドユーザーにしろ、

マーケットから決して受け入れられないサービスを展開してしまう。

 

マーケットから受け入れられないサービスを提供しようと

無理をすると、

道理や合理性を見失い、

提供する「現場」は疲弊の一途を辿る。

 

かつての大戦末期の大本営戦略もそう、

某大ヒットドラマの「事件は会議室で起きているんじゃない!」もそう。

 

かつてサラリーマン時代、事業部の商品価値を最終決定する重要局面、

意思決定者であり数カ月前に違う部署から着任した執行役員が難しい決断に迫られた際、

私はあらゆる角度から進言を行った。

 

執行役員は東京本社で取り得る限りのデータやユーザーの声を収集し、

自身の判断の確かさらしさを示す根拠を手繰りに行った。

 

示されたデータ結果は、

私の進言した内容の通りだった。

 

ならば、と執行役員は、

「現場に連れていけ」

とその重い腰をやっと上げて下さった。

 

私がお連れするべく選んだ「現場」は、

2月極寒の雪深い

北海道旭川市だった。

 

先のデータ結果を最も肌感覚で感じ取ることのできる、

当時の事業部で最北端の地だった。

 

下された事業判断は…